除夜の鐘というと、大晦日の夜につかれているイメージがあると思います。
では、なぜ大晦日にたくさん鐘をつくのでしょうか。
所説あると思いますが、ここでは、私が思う除夜の鐘について解説します。
「除夜の鐘」とは
鎌倉時代に中国から伝わった『鬼払い』という文化があったそうで、そこからきている仏教行事の一つとして日本の寺院で大晦日の夜に寺の梵鐘をつき鳴らし、1年の感謝の気持ちでその年の最後の法要を務めることを『除夜の鐘』と呼ばれてきました。
そもそも、除夜とは大晦日の別名である『徐日』の夜を指し、除夜の鐘の『徐』という言葉には古いものを捨て新しいものに移るという意味があるそうです。
除夜法要ともいわれており、心穏やかに新年を迎えようという願いが込められた大切な引継ぎ儀式と言われてきたそうです。
一方では、時報として鳴らされていたのではないかという説もあります。寺院により様々かと思いますが、通常決まった時間に時報として鐘を鳴らしているところもあります。子供のころ近所のお寺の鐘が鳴ると急いで家に帰った事思い出します。日が沈む夕暮れ時を懐かしく思います。
鐘の音は仏様の声を連想させるものとも言われており、その音を聴く事で
一切の苦から逃れ、悟りの境地に達するお徳がいただけるとされた意味もあったそうです。
「除夜の鐘」って何回つくの?
一般的に除夜の鐘は108回つかれています。
この「108」という回数の意味合いは様々あるようですが、
有名なのは、煩悩の数と言われています。108もの煩悩と言われると、そんなに?と思いますが、目から入ってくる視覚、耳から入ってくる聴覚、鼻から入ってくる嗅覚、口から入ってくる味覚、手などから入ってくる触覚これを、五感というそうですが、そこに第六感と言われる意識からくる心の動き、それを、良い悪いどちらでもないに分けられ、それをまた綺麗、汚いに分けられ、また過去、未来、現在を計算して108の煩悩とするとか・・・
見る、聞く、嗅ぐを煩悩と言われてしまうと少し納得出来かねる感じもします、見たいと思ってなくても、聞きたいと思ってなくても、自身の思いに反して見えたり聞こえたりする場合もあります。ですが、見てはいけないものをみたり、聞いてはいけないことを聞いたりと考えれば納得。それに応じて良くも悪くも何かしら感じたり考えたりすることにより煩悩と言われることになるんでしょうか。思い感じる事は人それぞれ良くも悪くも煩悩なんでしょうね。
もう一つは、1年を表しているというものもあります。1年を細かく分類して108となるとか。
また、四苦八苦(4×9 8×9を足した数)をあらわしているという説も存在するとか。
悪い事=煩悩ととらえられがちですが、本当はそうではないように感じました。良くも悪くも、思い考え感じること全てを煩悩というのではないでしょうか。
一般的には、旧年のうちに107回鐘をついて、最後の1回を新年につくのが正式と言われています。
お坊さんがつく場合もありますが、多くのお寺では一般の参拝者も鐘をつくことができます。その希望者が多い場合は、108回以上つくこともあるそうです。
108回の意味や考えを聞いて思うことは とらえ方は、それぞれの想いでいいのではないかと言うことです。今年一年どんな時間の使い方、過ごし方をされたかにもより、一人一人同じように過ごしていても感じ方が違ったりします。
108回に関しても沢山の方が1年の感謝を思い鐘を鳴らし、穏やかに新年が迎えられるなら何回でもいいのかなとも感じました。
108回をどうカウントしているんだろう?と思うのは、私だけでしょうか?
そんなことも含めて、どんな一年だったのかと振り返ってみてはいかがでしょうか。
鐘をうつ時間は?
除夜の鐘は大晦日の深夜23時頃から元旦の1時頃までと言われていますが
大晦日から元旦にかけての深夜0時を挟んでつかれています。
108回以上つく寺院では早めの時間から始めるところもあります。
中には、騒音クレームになったり、檀家さんの高齢化によりお参りに来る方が減ってきているお寺もあるようです。世代交代により宗教に対する考え方やとらえ方が変化してきている現代では、柔軟に対応されておられるお寺は、困った時に寄り添ってくれるという受け取り方になってきているのかもしれません。
大晦日に107回つくのは、古い年のうちに煩悩を消し清めるという意味もあるそうですがそれだけでなく、除夜の鐘はその人にとって一年に一度だけの格別な音。 鐘の音を聴きながら一年間のいろんな出来事を思い出しながら、感謝や反省、来年こそはという思いを馳せるためでもあるようです。
鐘をつく作法・所作
除夜の鐘をつく作法として
鐘の近くまで進んでいき、つく前に鐘に向かって合掌・一礼をしましょう。
撞木(しゅもく)についている紐をにぎり後ろに引き、鐘にあて鳴らします。
もう一度合掌・一礼をし、仏様へ感謝の気持ちを心にそっと念じます。
大切な作法としては、大勢の方が順番を待っている場合がありますので、
一度鳴らしたら次の方に譲りましょう。お一人でも多くの方々が今年の感謝の気持ちを込めて、そして新しい年を穏やかに過ごせられるよう願い、鐘がつけますように。
また、あまり強く鐘をつき過ぎない様にしましょう、場合によっては、ヒビが入ってしまうこともあるそうです。そしてつく間隔を30秒くらいあけましょう。
また、本堂への参拝後に鐘をつくのは「戻り鐘」といって功徳が消えて縁起が悪いものと言われています。
霊柩車が火葬場へ向かう出棺時にクラクションを鳴らしますが、その事と同じ意味合い(ご遺体を運びます)があるそうです。 参拝してお願いしてからするもののように思いますが、鐘をつくのは必ず参拝の前にしましょう。
もしも、参拝後についてしまった場合は、もう一度本堂へ参拝しましょう。
寺院によっては一般の方でも除夜の鐘をつくことができます。ただし、有名な寺院では希望者が多いため、事前予約が必要だったり、先着順で整理券が必要なケースもあります 除夜の鐘がつける寺院かどうか、人数や時間に制限がないか、有料か無料かなど、前もって確認しておくことをおすすめします。
自分らしい除夜で今年1年に感謝
常滑市矢田にあります、信谷院さまでは、『徐夕の鐘』として早い時間から鐘をうつことができるそうです。
小さなお子様がおられる方や、お年寄りのいらっしゃるご家庭ではそういったお寺で今年のお礼をし、新年を迎えられてはいかがでしょうか。
実は私は、一度も除夜の鐘をつきに行った事はありません。
ただ、ずっと何年・・・いや何十年と煩悩水泳といわれる事を年末にしています。
私の場合は、50メートルを108本、煩悩と言われる数を1分10秒サイクルにて泳ぎます。もちろん最初は余裕ですがだんだんと疲れ、寒さとの闘い(;^_^A
足やらつったりしながら煩悩との闘いです。
達成感は清々しく、泳ぎ切れた健康な体に感謝し、また来年も挑戦しようと思えます。
もちろん、今年も挑戦します。
自分にとっての「除夜の鐘」をみつけても、おもしろいかもしれないですね。
今年は、除夜の鐘つきにも行ってみようかと思います。